安岡又彦の墓


安岡家は江戸時代には山北の郷士で家は繁栄し、「本家」、「お西」、「お上」、「お下」と4家に別れていて、その内の「お下」家のことになります。
屋敷は今でも残っていて国の重要文化財に指定されたことが新聞に発表されたすぐあとの2005年4月23日に最初に訪れ、今度2013年3月に訪れた時には大規模な復元工事が行われていました。
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国の重要文化財に指定され間もなく、2005年4月に訪れた時の安岡家の写真です。


2013年3月に訪れたら家の前には復元工事のための現場事務所が手前にできていて
県道からはほとんど安岡家の家が見えませんでした。


県道を挟んで南側の西坊山(といっても低い丘です)に墓所はありました。
この中に、武市半平太の指示で那須信吾、大石團蔵と共に吉田東洋を暗殺し、脱藩して吉村寅太郎の
天誅組に加わったが敗れ処刑された安岡嘉助や、土佐勤王党血盟同志であったので武市半平太と共に
獄に繋がれた安岡覚之助がいます。


列の後ろの方に、別役家から養子に行った従兄弟の又彦と房夫婦の墓が並んでいました。
又彦の父は安岡家から別役家に養子に入って家を嗣いでいます。
二人の孫が、「鏡川」や「流離譚」などで有名な安岡章太郎です。


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