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2011年3月3日撮影
最御崎寺左脇の駐車場にある宿坊の看板です。この地図の左上にお寺の和尚さんの墓所が書かれています。
100m余り道路を進むと、左に室戸市教育委員会の建てた案内看板が見えて来ます。
「一海天梁は寺田寅彦より5代前の吉村左七の弟で、学問を好み東寺に入って住職となった。
その墓は東寺の住職たちの墓地にある。
寅彦の随筆「初旅」によると、寅彦は中学生の時父に言いつけられて高知から徒歩で室戸岬へ
初めての旅をして一海和尚の墓に詣でている。」
墓所右手奥には五輪塔の墓が点在しています。
おそらく初期の最御崎寺(東寺)の住職たちなのでしょう。
墓所左手は中興以後の歴代の最御崎寺の住職たちの墓所です。
その一番奥に寺田寅彦先祖の墓と彫った石柱が立てられています。
「當山一世一海天梁墓」とあります。
とても変わった形です。
文化10年(1813)10月25日没です。
岬を回る国道沿いには主に海難事故で亡くなった人を祀る「水掛地蔵」があります。
中央部には地蔵?が並んだ板碑がありました。
その近くにある立像のお地蔵さんは、
一海和尚が願主となり室戸の漁師たちが建てたもので、
捕鯨の鯨供養だと説明されています。
背中に「願主當山一世一海天梁」が彫られています。
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