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「亮の追憶」

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(寅彦の長姉、駒の墓)
 「亮の一周忌が近くなった。かねてから思い立っていた追憶の記を、このしおに書いておきたいと思う。
 亮は私の長姉の四人の男の子の第二番目である。長男は九年前に病死し、四男はそれよりずっと前、まだ中学生の時代に夭死した。」
 「昨年また亮が死んだので、残るはただ三男の順だけである。順はとくにいでて他家を継いでいる。それで家に残るは六十を越えた彼らの母と、長男の残した四人の子供と、そして亮の寡婦とである。さびしい人ばかりである。」


(亮の墓)


(亮の曾祖父、助丞の墓)
 「亮の家の祖先は徳川以前に長曾我部氏の臣であって、のち山内氏に仕えた、いわゆる郷士であった。曾祖父は剣道の師範のような事をやっていて、そのころはかなり家運が隆盛であったらしい。竹刀が長持ちに幾杯とかあったというような事を亮の祖母から聞いた事がある。」
 「亮の父すなわち私の姉の夫は、同時にまた私や姉の従兄に当たっている。少年時代には藩兵として東京に出ていたが、後に南画を川村雨谷に学んで春田(しゅんでん)と号した。私が物心ついてからの春田は、ほとんどいつ行っても絵をかいているか書を習っていた。かきながら楊枝を縦に口の中へ立てたのをかむ癖があった。当時のいわゆる文人墨客の群れがしばしばその家に会しては酒をのんで寄せがきをやっていたりした。一方ではまた当時の自由党員として地方政客の間にも往来し、後には県農会の会頭とか、副会頭とか、そういう公務にもたずさわっていたようであるが、そういう方面の春田居士は私の頭にほとんど残っていない。」

(寅彦の姉の夫であり、父利正の姉の子でもある)


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