2010年12月19日
宇賀家の墓所の手前には寅彦の姉の駒が嫁いだ別役家の墓所もありました。
この墓所では一番古い人達です。
「別役助丞重成 文久三年(1863)十一月十四日 行年六拾有八歳」
「別役助丞重成妻 文久元年(1861)四月廿五日 行年五十有九歳」
跡継ぎが無く、安岡家から俊蔵を迎えました。
宇賀喜久馬や利正の姉、伊嘉と安岡家から養子で別役家に入った俊蔵の夫婦です。
「別役俊蔵重慶 明治三年(1870)二月十四日 行年四十七」
「別役伊嘉墓 大正元年(1912)十月廿八日歿 別役俊蔵之妻 行年七十九歳」
二人の子、又彦は安岡家の房と養子縁組みして安岡家に戻っています。
寺田寅彦の長姉、駒と俊蔵の長男別役儁(墓石に刻まれた文字はPCの辞書にはない)の夫婦です。
「別役儁墓 明治四十三年一月三十日歿 行年五十六歳」
「別役駒墓 昭和廿五年十二月五日歿 行年九十三歳 別役儁妻 寺田利正長女」」
寅彦や姉の駒からは儁は従兄弟になります。
駒の子供達、励夫、亮、精です。
「別役励夫墓 任山林技師 叙正七位 大正三年九月二日歿 行年三十八歳」
「別役亮墓 任公立實業學校 叙正七位 大正十年五月廿七日歿 行年四十歳」
「別役精墓 明治三十八年二月二十七日歿 行年十有七歳」
三人は寅彦の甥たちです。精は特に早く亡くなり、他の二人も比較的早く亡くなっています。
特に亮は仲良しで、寅彦は「初旅」や「亮の追憶」という随筆を書いています。